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福澤桃介生誕150年記念展

岐阜県博物館で開催されている「福澤桃介生誕150年記念展」にいってきた。

今回の展示品はおよそ100点。

稀代の相場師と謳われた福沢桃介の人生が少しだけ垣間見えた。

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今から150年前、日本が近代国家に生まれ変わろうとする1868年に岩崎桃介は武蔵国(埼玉県)に生まれる。

福澤諭吉に才を見込まれ、養子に迎えられた桃介は直ちにアメリカへ留学し、帰国後、結核で療養中に株式投資を始める。

当時、桃介には3000円の貯金があり、その中から1000円を軍資金として株式投資にあてた。

自身が後に語るところによれば、自分の生活費が尽きてしまうのが心配であった上に、日々退屈であったので、病床でも何かできることはないかと考えて株式投資を思い立ったという。

1年ほど経って仲買に命じて買い玉をすべて清算してみると、約10万円の利益が手元に残った。

これは現在のお金の価値に換算すると10億円相当にも及ぶ。

当時は日清戦争が終戦を迎える頃で、初心者でも買えば必ず利益があがる時期であった。

1年間で10万円を稼いだということで勢いづいた桃介は、その後も株式投資を続けたが、1896年の春より相場は下落に転ずる。

秋にはほぼすべての株が暴落してしまい先の利益の半分を失った.。

当時、桃介を凌ぐ稼ぎを得ていた同世代の相場師、島徳蔵、鈴木久五郎は、このときの暴落で全財産を失ってしまう。

ちなみに、この下げ相場で売り方の先頭に立ったのは野村證券の創業者である野村徳七で、このとき築いた資産がのちの野村財閥の基礎となる。

株式相場に見切りを付けた桃介は、その後次々に電力会社や重化学工業を立ち上げ、経営の鬼才と謳われた。

中でも、急流木曽川を舞台に日本初のダム建設に成功したことが日本の工業水準を一気に欧米並みに押し上げたといわれる。

株式投資で財を築いた桃介だが、それだけで終わらず私財を投げ打って日本の近代化に情熱を注いだところが、今日の評価に繋がっている。

もし福沢桃介が最後まで相場を続けていたら、島徳蔵や鈴木久五郎のように破産していたかもしれない。

今回学んだ教訓があるとしたら、投資である程度の財産を築いても、最後に勝ち逃げするまでは本当の勝利ではないということと、人はお金を稼ぐだけでは幸せになれないということだ。
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[ 2018/06/10 17:14 ] 教訓 | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

ジョンメリ

Author:ジョンメリ
こんにちわ。ジョンメリと申します。HNはLTCMのジョン・メリウェザーから頂戴しました。トレーダー歴約8年。2006年までは南ア通貨をスワップ金利目的で高レバレッジで運用。しばらく右肩上がりの相場が続き、わが世の春を謳歌していました。が、2007年8月17日にサブプライムローンに端を発する大暴落に遭遇。2008年はベアー・スターンズショックの下落で多大な損失を被り、マーケットから退場せざるを得ませんでした。精神的なダメージから一時は真剣に引退も考えましたが、ここにきてようやく傷も癒えました。現在はデイトレに手法を変え、再び外国為替取引に挑戦しています。

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